親父は76歳で銃を廃棄し、狩猟の世界から離れていきました。
私はあと何年、銃を所持し続けていることでしょう。
最近、2003年に放送されたドラマ「Good Luck」をYouTubeで見ました。
パイロットの引き際を見て、以前に狩猟界に書いた「親父が銃を納めた日」のことを思い出した次第です。
乗客の安全を考え、100%でいられなくなった時、自らその職から去っていくパイロットの姿に、将来の我が身を重ねてみると、潔く銃を納めることができるだろうかと自問自答しました。
狩猟は趣味の世界のものですから、パイロットという職業とは異なりますので、そこまでシビアな問題ではないでしょう。
とはいえ、職業の重要な一部となっている私にとっては、銃を納める=職を去るということですから、パイロットと同じような関係があります。
そう考えると、やはり有害鳥獣捕獲や個体数調整に従事する場合には、定年とは言いませんが、自ら限界を悟ったときには潔く身を引くべきでしょう。
しかし、射撃指導員とか鳥獣保護員とかの肩書きがあると、余計に引き際は難しくなるでしょう。
ドラマの中では、過去に自分の指導教官であったベテランパイロットに監査員としてパイロット不的確という引導を渡すシーンがあります。
親父とお袋に勧められてはじめた狩猟ですが、親父の狩猟人生に引導を渡したのは私でした。
そんなこともあり、ドラマでのシーンには自分の気持ちを重ねるところもあって・・・。
私に銃を返納しろと引導を渡すのは、息子でしょうか。それとも、自らその引き際を見極めることができるのでしょうか。それとも、犬たちが教えてくれるのでしょうか。
引き際を悟れず、銃をそのままに病に倒れ、闘病の甲斐無く亡くなってしまい、銃や弾の処理に銃砲店の方が自宅へ赴くという事例は多いそうです。
親父のようにきちんと処理できていることの方が珍しいくらいだよと銃砲店の社長に言われたことも覚えています。いずれにしても、死んでから周囲に迷惑をかけることのないようにしたいものです。
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