仏教と神道の違いを云々するつもりはありません。
先日の出張先で、獣害対策に関わっている地元の方の言葉が引っかかって調べてみました。
彼が言うには、「仏教には、人の世の妬みや嫉みがある。けれど神道にはそれがなく、あるがままを受け入れる。だから、我が家は仏教徒であるけれど、私自身は神道に近い考えがある。」ということでした。
そこから先の「縄文人は宇宙と交信していた・・・」という話にはついて行けませんでしたが・・・。
本来の仏教は、人間が六道輪廻の道からの脱却を最終目的としたものです。現世は無常ではかない仮の姿であり、この世の終わり(末法)が存在しています。
この末法を勝手に解釈した似非宗教家やその信者達が、最近も話題になったりしましたが、それは横道なので置いておきます。
神道では永遠にこの世が栄えるとしています。
仏教の生命観は、六道輪廻するので、人間から小動物にまで至っています。
日本では仏教は外来宗教ですが、神道は日本で生まれた宗教です。
神道は、現世利益といってあの世での生活よりも、この世での価値ある生活を基本においています。祖先崇拝と自然万物を神とを崇拝します。
神道の生命観は、太陽、水、大地など、天地自然万物が神であり、生命があり、同胞と認めます。
なにしろ八百万の神々の国ですから、七福神はもとより、貧乏神、疫病神、死神までいる訳ですから、この世は神で溢れている状況です。
共通点は、霊魂の不滅を認めているところでしょうか。
そう考えると、獣害対策に苦しむ現世は、彼の言うように仏教の世界観にあるように「人の妬みや嫉み」に満ちた六道輪廻の道であり、自然万物を神として崇拝する生命観の方がその苦しみを和らげてくれるものなのかと思いました。
獣害対策は、多くの場面で「人対策」の様相を呈しています。
彼の言葉を借りれば、獣害対策は仏教ではなく、神道で解決すべきだと言えるのでしょうか。
仲間割れしているような状況では、「野生動物vs.人間」の戦いは、人間の敗北に終わるでしょう。
という以前に、天地万物が神であり、生命があって同胞であると受け入れてしまえば、獣害対策にも違う見方ができるようにも思えます。
我が魂の叫びは、合理的かつ現実的なので、彼のようには捉えることはできません。資本主義経済の中で、より効率的に獣害対策を進めていくには、豊富な知識と経験、確実な成果という極めて現実的なものだと思っています。
捕獲だけに関して言えば、獲れないヤツには問題解決などできないという現実があるかと思います。それだけに、我が魂の叫びが求めるものは、現実的な数値であり、成果となっています。
そのため、人からいろいろと言われることは仕方のないことと思っていますが、所詮は負け犬の遠吠え感は否めないでしょう。
しかし、協力を拒むものではありませんし、オール人間軍として野生鳥獣との戦いに勝たぬとも負けない戦いをしたいと思っています。
まぁ、それでも趣味の世界には、彼の言うような世界観や生命観を受け入れる部分は多々あります。そんな部分は、いずれまた書きたいと思います。
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